先日、電車の中で、たまたま同じBOX席で一緒になった母子。
小学校に上がる前であろうおチビさんは、まだ横浜だというのに「まだ小田原じゃないの?」
なんて言っている。
そう言えば、ず〜と以前の子供の頃「遠足が待ち遠しい」「クリスマスが待ち遠しい」などなど。
年をとるにつれて、一日一日が短く感じられるようになってきた。おそらく毎日の生活に慣れちゃって色々なことが解ってきて、目新しいことが少なくなり、なにげない時間が過ぎて行くのだろう。
(((まだ横浜だよ!小田原なんかまだ先じゃ!辛抱の足りんガキんちょだぜぃ!)))なんて思っていたのだが、そんな考え自体が大人の身勝手なんだよと何気なく気がついた。
相手は子供じゃ、毎日毎日が新しい経験の積み重ねなんだろう。きっと大人より時間を長く感じて小さな出来事を一つ一つ大切に経験してんだろう。
子供の視線になって、しゃがんで話したりすれば、ちゃんと答えてくれたり、赤ん坊に赤ちゃん言葉で話すと自然となついてくれるんだよなぁ・・。
さて、先のおチビさんの感覚になって窓の外を見てみる。「あ!こんな所に面白いビルがあるな」「あの看板のコピーは面白いなぁ」「あの電車エアサスだけど前半分はリジットだったぞ」
・・子供の視線で見ると、、じつに世の中の空間の広いことか・・
・・きっと、育児上手な母親は「早くしなさい!」と頭ごなしに大人の時間を押しつけたりしないで子供の時間の波に乗ってうまくサーフィンでもしてんだろうな。
しかし・・小さな事に一々ワクワクしてたら疲れてしもうた!やはり年相応にボケ〜としてる時間も必要か?いや、、せめて、子供と一緒にいるときだけでも彼らの時間の流れに乗ってみようか・・。
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